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田代紋左衛門
文化14(1817)年 - 明治33(1900)年 83歳幕末期、海外貿易を許可され、「肥碟山信甫」銘のやきものを製造、販売。長崎のほか、横浜、上海にも支店を出した。町内外に手強いライバルがいる中、新しいやきもの・碍子の製造にも取り組み、輸出もした。
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久富与平昌起
天保3(1832)年 - 明治4(1871)年 40歳幕末期、佐賀藩から海外貿易を許可された久富本家を引き継ぎ、洋式帆走船・大木丸で活躍したが、不運にも志半ばで死去。存命ならば三菱を凌ぐ商社となったであろうと大隈重信が語った豪商。
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江越礼太
文政10(1827)年 - 明治25(1892)年 65歳元小城藩士で、有田の教育者。明治14(1881)年、国内初の陶器工芸学校(勉脩学舎)を設立し、子どもたちの実業教育に尽力。実業教育の草分けであり、有田教育の父と言われている。
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ゴットフリード・ワグネル
天保2(1831)年 - 明治25(1892)年 61歳ドイツ人化学者で、日本近代工業の指導者。明治3(1870)年に佐賀藩に雇われ有田へ。石炭窯やコバルト、西洋絵具の導入など、有田焼業界近代化のためのいくつかの技術を伝授。明治23(1890)年に再び来町したときには日本語で演説を行った。
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八代深川栄左衛門
天保元(1832)年 - 明治23(1899)年 58歳香蘭社を設立して万博に出展し、貿易に力を入れた明治の開化期の有田皿山のリーダー。国策である電信事業推進のための磁器製碍子の製造に成功し、日本の近代化にも貢献した。
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中林梧竹
文政10(1827)年 - 大正2(1913)年 87歳元小城藩士。江越礼太とは縁戚関係であり、長子・中林経雅は有田の江越の塾生でもあった。有田に何度となく訪れて、その書が多く残されている。
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十一代辻勝蔵
弘化4年(1847) - 昭和4年(1929) 82歳江戸時代からの禁裏御用(宮内庁御用達)の名窯元で、明治8(1875)年の合本組織香蘭社創立者の一人。その後、精磁会社の設立にも加わり、有田町長としても活躍。
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松尾寛三
安政6(1859)年 - 大正11(1922)年 64歳明治26(1893)年、西松浦郡初の代議士となる。明治27(1894)年の佐賀県五二会創立にも関わった。財政界でも多くの会社の創立に関わり、明治41(1908)年には東京小石川に丘隅舎という西松浦郡出身者の学生寮開設にも尽力した。